知識

このブログで伝えたいこと

はじめに

私にはこのブログで伝えたいことがあります

その前に私が病気になった説明を少し

4年前まで私は適応障害、うつ病、双極性障害の診断を受け
治療を続けていました
一向に良くならない症状
それどろこか、日に日に悪くなっていく
何度も病院を変え
他の検査もたくさん受けました

1人の医師との出会いと新しい居場所が私の症状を
大きく改善してくれました

薬が特別だったわけではありません
その先生を信頼できだからです
そして安心して安心できる居場所を見つけたからです

やっと良くなった病気が再発
何が原因となったのか
これを繰り返していくのか
不安になりパニックになりました

今日の『ことりのつぶやき』は
改善した病気の経緯と再発について綴っていこうと思います

目次

  • 休職
  • 休職期間の過ごし方
  • 焦燥感
  • 安心できる場所
  • 1人では生きられない
  • コロナの影響
  • 再発
  • 治療の再開
  • おわりに

休職

これまでほかの病院で何度も言われていた
治療法『仕事を休む』

私が病気療養を渋っていた理由
『私がいないと迷惑がかかる』
そんな思い込みでした

職場を休むと言う選択は
私にとって大きな選択でした
「私が居ないと誰かが迷惑する」
既に自分の存在が迷惑であると
思っていた上に迷惑をかけることで
「スタッフからどのように思われるか」
考えると、死にたい気持ちでした

実際、表面上心配こそすれ
直接文句を言う人はいませんでした

休職期間は3ヶ月
1ヶ月ごとに診断書と治療経過を報告
時にはメールで仕事の相談も受けまいたが
療養中は仕事に関して考えないようにしていました

休職期間の過ごし方

先生を信じて、病気療養に入りました
最初の1〜2週間は良くなるどころか、症状が悪化していきました
「この選択は間違っていたのではないか」
そのように思いました
しかし、3週間目を迎え睡眠が取れるようになり
疲労感は大きく減少しました

先生を信じて休職をして良かったと思いました

休職している間
はじめの2〜3週間は何もできず横になっていました
家事だって最低限
「完璧にしなくたって死なないから大丈夫」
そう先生に言われたことを思い出します

身体が動けるようになることが第一目標
疲れを取ることに専念しました

焦燥感

少し動けるようになった頃には
『何かをしなければ』
焦燥感に駆られました

仕事に関する何かをしていないと
怠けていると思われるんじゃないか
復職した時にみんなの迷惑になるんじゃないか
そんな風に思っていました

「仕事をサボって遊んでいる」
そんな風に思われるんじゃないかと
外出は必要最低限に
隠れるように生活していました

「朝日にあたって規則正しい生活をする」
その繰り返しの日々でした

脳を休め、身体を休めると
正常な判断ができるようになってきます
それでも焦燥感は拭えませんでした

診察の時に先生に相談しました
「気分転換に出かけることも大切」
そうは言われてもサボっていると思われるのが不安でした

安心できる居場所

そんな時に以前参加したセミナーの講師の方が
近隣でセミナーを開催されることを聞きました

その先生と出会いと同時に、私は安心して過ごせる居場所を見つけていました

それが現在活動させていただいているTAKAMIと言うグループです

精神を病んでいる私が、そういったコミュニティーに入ると聞くと
『変な宗教?』『騙されていないか』
不信感や心配をしてくれる人が多くいました

もともと勉強するのが好きだった私です
心電図の勉強会に参加したことで
このTAKAMIと言うグループを知りました
毎月のコンサルティング
同期メンバーの悩みや活動の話を聞くと
自分が孤独でないと感じることができました

人は1人では生きられない

仕事をしている間
私は孤独でなかったと今ならわかります

しかし、私は仕事をひとりで抱え込み
誰かに相談することもできず
自分で自分を追い込んでいたんです

心配してくれている
同僚や仲間もたくさんいたんだと思います
その時は気がつくことが出来ませんでした

TAKAMIという居場所を見つけたからこそ
それらのことに気づくことができました

コロナの影響

娘の進学と同時に転勤することになりました
コロナ禍のことでこれから生活が大きく変わりました

私自身は転職の経験もあり
職場が変わることへの抵抗は少なかったです

想像していた以上に大きな影響を受けたのは
娘でした
入学式ですら親は参加できず
登校もない状況
WEBでの授業のみで
楽しいはずの大学生活とは程遠いものでした

ニュースにもなっていましたが
世界中の学生が孤独を感じ自殺問題も取り沙汰されていました

学校での授業が再開になった時には
娘は体調を崩していました

一見元気になったように見える私ですが
着実に再発に近づいていたのでした

再発

そして心と体が限界を迎えたとき
私は昔のような希死願望が芽生えました
そのための準備を始めました
断捨離、必要な手続きについて調べて
娘のことをどうするかいろいろ考えました

体調崩していたことに気がついた同僚が
『今の状態は普通じゃない 』
気付いてくれたことに救われました

普通に仕事をしていたつもりでしたが
職場での私は他者から見ていつも通りでは無かったのです

判断能力も落ちていました
落ち込んだ時に時間も考えず
話を聞いてほしい衝動に駆られて迷惑をかけた人もいます
話を聞いてもらえなかったことに
見捨てられ感を感じました

『理解してもらえない』
『人を信頼してはいけない』
『自分でなんとかしないといけない』
これらが認知のズレであることは今なら分かります

治療の再開

治療を再開することに決めました
治療再開するにあたって疑問に思ったことがあります

『どうして再発したのか』

やりがいのある仕事に落ち着いた生活
娘のことはありましたが
娘自身は治療受けていました

私は病気に対してあまり知識がないことに気が付きました
きちんとした知識を持って
きちんとした治療を受ける
医療人と当たり前のことができていない

私は精神疾患について調べることにしました
もちろん治療は継続しています

おわりに

メンタルヘルスケアを看護協会が推奨していることからも
看護師の精神疾患発症率は少ないとは言えません

「ココロが疲れた看護師さん」
そういった人に少しでも私が学んだことをお伝えできれば

病気に対する知識や治療に関することはもちろん
生活の中で起こることや
改善に向けて効果があったことなども
綴っていこうと思っています

もし貴方のココロが疲れていたら
もし貴方の周りに私と同じような思いをしている人がいたら
ブログのことを思い出してください

「ココロが疲れた看護師さん」の
役に立つようなブログになったらいいな

私ができる知識を共有することはとても小さな活動です
それでも「ココロが疲れた看護師さん」や周囲の人

同じように苦しんでいる人が
笑顔になれる社会が広がってくれると嬉しいです

こんなことを教えてほしいなど
質問がありましたら
メッセージくださいね

それについて私も勉強して
ブログに綴っていきたいと思います

長文になりましたが最後まで読んでくださった貴方に感謝を込めて

 

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